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カール・グスタフ・ユング

若き日のカール・ユングカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)の理論を創始した。スイス、ボーデン湖畔のケスヴィルでプロテスタント牧師の家に生まれる。少年期は己の内面に深い注意が向けられ、善と悪、神と人間についての思索に没頭し,学生時代はゲーテ、カントやニーチェの著作に感銘を受けた[1]。内的な基盤を持たない形式的な信仰というものに疑問を感じ、牧師という職を継ぐことを特には望まず、かわって生理学的な知識欲を満たしてくれる医学や、歴史学的な知識欲を満たしてくれる考古学に興味を抱き、友人と活発に議論を交わし、やがて人間の心理と科学の接点としての心理学に道を定めた。精神疾患の人々の治療にあたるとともに疾患の研究もすすめ、特に当時不治の病とされた分裂病(統合失調症)の解明と治療に一定の光明をもたらした。ヒステリー患者の治療と無意識の解明に力を注いでいたフロイトと一時親しく意見を交わした。1948年に共同研究者や後継者たちとともに、スイス・チューリッヒにユング研究所を設立し、ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。またアスコナで開催されたエラノス会議において、主導的役割を演じることで、深層心理学・神話学・宗教学・哲学など多様な分野の専門家・思想家の学際的交流と研究の場を拓いた。概説精神科医であったユングは、当時の精神医学ではほとんど治癒できなかった各種の精神疾患に対する療法の確立を目指し、ピエール・ジャネやウィリアム・ジェームズらの理論を元にした心理理論を模索していた。フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになる。ユングがそのキャリアの前半において発表した「連想実験」は、フロイトの「自由連想」法を応用して、言葉の錯誤と応答時間のズレ等を計測し、無意識のコンプレックスの存在を客観的な形にしたということで、科学的な価値を持ち、フロイトもそのために初めは喜んでユングを迎え入れた。両者の初めての邂逅において交わされた対談は10時間を超し、以後両者は互いに親しく手紙で近況や抱負、意見を伝えあった。 しかし、数年の交流のうちに、両者の志向性の違いが次第に浮き彫りになってきた。フロイトは無神論を支持したが、ユングは神の存在に関する判断には保留を設けた。またユングはフロイトとアドラーの心理学を比較、・吟味し、両者の心理学は双方の心性の反映であるとし、外的な対象を必要とする「性」を掲げるフロイトは「外向的」、自身に関心が集中する「権力」に言及するアドラーは「内向的」であるといった考察をし、別の視点からの判断を考慮に入れた。 ユングは歴史や宗教にも関心を向けるようになり、やがてフロイトが「リビドー」を全て「性」に還元することに異議を唱え、はるかに広大な意味をもつものとして「リビドー」を再定義し、ついに決別することとなった。[2]ユングは後に、フロイトの言う「無意識」は個人の意識に抑圧された内容の「ごみ捨て場」のようなものであるが、自分の言う無意識とは「人類の歴史が眠る宝庫」のようなものである、と例えている。ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点があること、また、それらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多いことを見出したユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。また、晩年、物理学者のウォルフガング・パウリとともに共時性(シンクロニシティー=意味のある偶然の一致)の概念を提起した。ユング心理学の特徴詳細は「分析心理学」を参照ユング心理学(分析心理学)は個人の意識、無意識の分析をする点ではフロイトの精神分析学と共通しているが、個人的な無意識にとどまらず、個人を超える集合的無意識(普遍的無意識)の分析へと段階を移し、能動的想像法も取り入れられる。能動的想像法とは、自発的な心的構えを準備して待ち、イメージが表れるのを促すものであり、思考よりもイメージ化を得意とする芸術家等に勧められた。ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している唯一の現象」でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる。夢の分析はフロイトが既に重視していたことであった。しかしユング心理学の夢解釈がフロイトの精神分析と異なる点は、無意識を一方的に杓子定規で解釈するのではなく、クライアントとセラピストが対等な立場で夢について話し合い、その多義的な意味・目的を考えることによって、クライアントの心の中で巻き起こっていることを治癒的に生かそうとする点にある。ユングはフロイトとの決別以後、しばらく方針を探しあぐねていたが、それでも治療を続け、徐々に、クライアントが無意識の流れに沿って語るに任せること自体が、治療的な意味をもつのだと見いだすに至った。また、彼が以前から抱いていた、古代への学問的好奇心に端を発した神学的な知識も、応用された。ただ、彼は人生の方向を決めるのは自分ではなく、クライアントであるとし、クライアントの無意識的諸力の創造性を信頼した。ユングは、東洋哲学からも影響を受けている。特に、任地の中国で東洋哲学の影響を受けたキリスト教宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムに出会い、その影響を深めた。 実際、ヴィルヘルムとの共著には、中国仏教に関して次のような記述もみられる。「私の患者には、一人の中国人もいなかったのですが、彼らの心的発展を研究して得たものは、何千年来東洋の最もすぐれた精神の持ち主たちが苦労して切り開いた教えと実によく対応していました。」また、日本のユング心理学はその心理臨床において箱庭療法を積極的に取り入れたことでも知られている。ユング心理学は芸術的・宗教的色彩の濃い題材に切り込んでいったため、分析的・科学的でないと評価される事も多いニューエイジ運動に影響を与えたが、これらの運動のなかには、ユングの考案した概念や用語を流用しているものの、ユングの理論とは異なる自己解釈を展開している事例もよく見られる。ユングは宗教に心理学的な考察を加えたが、あくまで個人の内的な経験という側面における価値を認めるというものだった。彼は宗教組織のドグマや集団化には強い懸念を表明している。ドグマは個人の内的体験から注意を背けてしまうきらいがあり、また集団化はル・ボンの群衆心理に照らし合わせてみても、むしろ個々の道徳的水準を低下させるものだとした。一方で彼は宗教を考察の対象から外すことにも疑問を呈した。彼は諸々の宗教の中に、無意識の象徴的表現をしばしば見いだした。ナチズムや反ユダヤ主義の勃興に対する姿勢ナチスが政権を取った1933年、ドイツ精神療法学会が改編されることになりヒトラーに反対したユダヤ人のエルンスト・クレッチマーがその会長を辞任。新たに設立された国際精神療法学会の会長にユングが就任した[3]これをもって、ユングはナチスに加担してクレッチマーを追い落としたと一部に言われた。 後にユングは精神療法という学問分野を守りたかったので非ユダヤ人である自分が会長職を引き受けたと述べている。 彼は実際、ナチスからの影響を逃れるために国際精神療法学会の本部をスイスのチューリッヒに移し、ドイツ国内で身分を剥奪されたユダヤ人医師を国際学会で受け入れ、学会誌にユダヤ人学者の論文が掲載されるように図ってもいる。けれども、ナチスが国際精神療法学会に干渉してナチスへの忠誠を誓うマニフェストが学会誌に掲載されたために会長のユングは激しく非難された。ユングはこの非難に対しては即座に反論したものの、今日に至るまでユングとナチズムとを関係づけ、非難する意見は存在する。しかし、ユングはユダヤ系の師フロイトにも支援の意図について打診[4]しており、長年にわたってユングの秘書を務めたユダヤ人アニエラ・ヤッフェによれば、「ナチスへの対応には甘いところがあった」が、ユングはナチスの反ユダヤ人政策には明確に反対しており、ユダヤ人のドイツ脱出支援活動にも関与していたようである。[5]また、ユングが戦前において、人々の群衆心理への傾倒、及びそれに伴う暴力性の発現に対して警鐘を鳴らしていた記録[6]や、ヒトラーに関連した事象がもたらす危険性について警告していた記録[7]も残っている。ユングと超心理学ユングはその学位論文『いわゆるオカルト的現象の心理と病理』において、従妹ヘレーネ・プライスヴェルクを「霊媒」として開かれた「交霊会」を扱ったこと(ただしこの論文では神秘的要因ではなく精神の病理的状態に帰されている)、また錬金術や占星術、中国の易などに深くコミットしたことにより、オカルト主義的な傾向を見て取られ、また新異教主義的な人々からその預言者とみなされる傾向がある。これにはおそらく母方のプライスヴェルク家が霊能者の家系として著名だった出自も影響していると思われる。また「集合的無意識」や「元型」などの一般の生物学の知見とは相容れない概念を提起することによって、20世紀の科学から離脱して19世紀の自然哲学に逆戻りしてしまったという批判がある。[8]。またフロイトもユングとまだ訣別する前に、「オカルティズム」を拒絶するよう強く求めた[9]。一方で、ユング自身は、夢に見られる元型に関して、遺伝に関連づけて言及していたくだりがある(『分析心理学』)。無意識に蓄えられている遺伝情報は莫大であり、人の心性がそれを基礎にしているからには、その生み出すものも、その起源をはるか過去に遡ることができるとする解釈も可能であり、遺伝情報内の大量の経験データの中には、人に平均して訪れる体験の体系も含まれていると考えた場合、元型の普遍性も説明できるであろう。また、そうした無意識内容を生み出す傾向、というユングの説明の付与は、人間が普遍的な基盤に立脚しながらも、決して固定された構造ではなく(これが生物学的な本能にしばられた動物と違う点である)、変化の可能性を秘めていることを示唆している。無意識と意識の調停作業はユングの言う「個体化」に結実する。ただし19世紀末から20世紀初頭の状況は、一方では精神医学を極めて機能主義的に捉えることのみが科学的であり「心の治癒」といったものを語ることは出来ないという流れがあった一方で、アカデミズム以外でオカルティズムの大流行があったのみならず、ウィリアム・ジェームズのような学者も心霊主義の実験に乗り出すなど、心の問題に関するアプローチは現在以上に定まらないところもあった[10]。こうした問題に関してユングに批判的であったフロイトも、そもそも性理論を打ち立てるのはオカルトの「黒い奔流」に対する「堅固な城塞」を築かねばならないからだという動機を口にしており[11]、こうした問題に必ずしも安定した姿勢で臨んだばかりいたわけではなかった。またユング自身はきわめて厳格に学問的な方法論を意識して研究を進めていたという主張もあり[12]、こうした点について決定的な評価を下すことはまだ難しいといえる。著作ユングの著作は、『ユング全集』にほぼ全ての重要な論文(単行本を含む)が網羅されている。全二十巻の構成となっている。ドイツにおいて、『 Gesammelte Werke von C. G. Jung 』 (Walter Verlag) として出版されている(「GW」 と略する)。英語版は、ユングの監修の元に翻訳が行われている(『 The Collected Works of C. G. Jung 』)。代表的な著作としては、以下のものがある。『転換のシンボル』 Symbole der Wandlung, 1912, +1950, GW Bd.5.『心理学的類型』 Psychologische Typen, 1921/1950, GW Bd.6.『心理学と宗教』 Psychologie und Religion, 1940/1962 (GW Bd.11).『アイオーン』 Aion, 1950, GW Bd.5-2.『心理学と錬金術』 Psychologie und Alchemie, 1944/1952, GW Bd.12.『ヨブへの答え』 Antworf auf Hiob, 1952/1967 (GW Bd.11).『結合の神秘』 Mysterium Coniunctionis, 1955/1956 GW Bd.14.脚注^ 後の心理学者としての著作に、ゲーテの「ファウスト」やニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」への言及も多くみられる。^ ユング著「リビドーの変容と象徴」(1912)にフロイトは難色を示したが、ユングは学問的な視野の拡大化をはかる意味合いを著書に持たせていた。^ エレンベルガー、1980年、下、308頁。^ ただし、これに関してはフロイトに「敵の援助を受けることは出来ない」と拒まれている。^ 以上の記述は、河合隼雄『ユングの生涯』第三文明社レグルス文庫100、1978年、pp.52-56に基づく。ヤッフェの評論については平田武靖「ユンク心理学の系譜 -ユンク・ナチス・ユダヤ人-」、『is No.1』ポーラ文化研究所、1978年で紹介されている。^ C.Gユング『自我と無意識の関係』、人文書院、p.51,52以下。原文は1928年発表された。^ C.G.ユング『ヴォータン』、1936。 ヒトラーに関して、扇動される群衆および扇動者自身の熱狂を指摘し、事態の危険性をユングは警告している。^ リチャード・ノル 1998:201-2,382-3,415-7頁^ 『ユング自伝』1、みすず書房、1972年、p.127。^ 上山1989:483,488-491頁。^ 『ユング自伝』。^ 林道義『ユング思想の真髄』朝日新聞社、1998年。参考文献C.G.Jung , R.F.C.Hull(trans.),'Symbols of Transformation',Princeton/Bollingen PaperbacksISBN 0-691-01815-4C.Gユング『自我と無意識の関係』野田  あきら訳、人文書院、1982年。ISBN 4-409-33010-1C.Gユング『現在と未来』松代洋一編訳、平凡社、1996年。ISBN 4-582-76171-2上山安敏『フロイトとユング - 精神分析運動とヨーロッパ知識社会』岩波書店、1989年。アンリ・フレデリック・エレンベルガー、『無意識の発見: 力動精神医学発達史』木村敏・中井久夫訳、弘文堂、1980年。小俣和一郎 『精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー』講談社/講談社現代新書,1997年,ISBN 4061493639リチャード・ノル『ユング・カルト』月森左知・高田有現訳、新評論、1998年。リチャード・ノル『ユングという名の<神>』老松克博訳、新曜社、1999年関連項目ウィキメディア・コモンズには、カール・グスタフ・ユングに関連するマルチメディアがあります。分析心理学集合的無意識元型-アニマコンプレックスシンクロニシティ精神分析-ジークムント・フロイトヘルマン・ヘッセ河合隼雄林道義秋山さと子湯浅泰雄ローレンス・ヴァン・デル・ポスト 「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0」より作成カテゴリ: 分析心理学 | スイスの医学者 | スイスの心理学者 | 精神科医 | 心理学者 | 1875年生 | 1961年没 若き日のカール・ユングカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)の理論を創始した。スイス、ボーデン湖畔のケスヴィルでプロテスタント牧師の家に生まれる。少年期は己の内面に深い注意が向けられ、善と悪、神と人間についての思索に没頭し,学生時代はゲーテ、カントやニーチェの著作に感銘を受けた[1]。内的な基盤を持たない形式的な信仰というものに疑問を感じ、牧師という職を継ぐことを特には望まず、かわって生理学的な知識欲を満たしてくれる医学や、歴史学的な知識欲を満たしてくれる考古学に興味を抱き、友人と活発に議論を交わし、やがて人間の心理と科学の接点としての心理学に道を定めた。精神疾患の人々の治療にあたるとともに疾患の研究もすすめ、特に当時不治の病とされた分裂病(統合失調症)の解明と治療に一定の光明をもたらした。ヒステリー患者の治療と無意識の解明に力を注いでいたフロイトと一時親しく意見を交わした。1948年に共同研究者や後継者たちとともに、スイス・チューリッヒにユング研究所を設立し、ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。またアスコナで開催されたエラノス会議において、主導的役割を演じることで、深層心理学・神話学・宗教学・哲学など多様な分野の専門家・思想家の学際的交流と研究の場を拓いた。概説精神科医であったユングは、当時の精神医学ではほとんど治癒できなかった各種の精神疾患に対する療法の確立を目指し、ピエール・ジャネやウィリアム・ジェームズらの理論を元にした心理理論を模索していた。フロイトの精神分析学の理論に自説との共通点を見出したユングはフロイトに接近し、一時期は蜜月状態となるが、徐々に方向性の違いから距離を置くようになる。ユングがそのキャリアの前半において発表した「連想実験」は、フロイトの「自由連想」法を応用して、言葉の錯誤と応答時間のズレ等を計測し、無意識のコンプレックスの存在を客観的な形にしたということで、科学的な価値を持ち、フロイトもそのために初めは喜んでユングを迎え入れた。両者の初めての邂逅において交わされた対談は10時間を超し、以後両者は互いに親しく手紙で近況や抱負、意見を伝えあった。 しかし、数年の交流のうちに、両者の志向性の違いが次第に浮き彫りになってきた。フロイトは無神論を支持したが、ユングは神の存在に関する判断には保留を設けた。またユングはフロイトとアドラーの心理学を比較、・吟味し、両者の心理学は双方の心性の反映であるとし、外的な対象を必要とする「性」を掲げるフロイトは「外向的」、自身に関心が集中する「権力」に言及するアドラーは「内向的」であるといった考察をし、別の視点からの判断を考慮に入れた。 ユングは歴史や宗教にも関心を向けるようになり、やがてフロイトが「リビドー」を全て「性」に還元することに異議を唱え、はるかに広大な意味をもつものとして「リビドー」を再定義し、ついに決別することとなった。[2]ユングは後に、フロイトの言う「無意識」は個人の意識に抑圧された内容の「ごみ捨て場」のようなものであるが、自分の言う無意識とは「人類の歴史が眠る宝庫」のようなものである、と例えている。ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点があること、また、それらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多いことを見出したユングは、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。また、晩年、物理学者のウォルフガング・パウリとともに共時性(シンクロニシティー=意味のある偶然の一致)の概念を提起した。ユング心理学の特徴詳細は「分析心理学」を参照ユング心理学(分析心理学)は個人の意識、無意識の分析をする点ではフロイトの精神分析学と共通しているが、個人的な無意識にとどまらず、個人を超える集合的無意識(普遍的無意識)の分析へと段階を移し、能動的想像法も取り入れられる。能動的想像法とは、自発的な心的構えを準備して待ち、イメージが表れるのを促すものであり、思考よりもイメージ化を得意とする芸術家等に勧められた。ユング心理学は、他派よりも心理臨床において夢分析を重視している。夢は集合的無意識としての「元型イメージが日常的に表出している唯一の現象」でもあり、また個人的無意識の発露でもあるとされる。夢の分析はフロイトが既に重視していたことであった。しかしユング心理学の夢解釈がフロイトの精神分析と異なる点は、無意識を一方的に杓子定規で解釈するのではなく、クライアントとセラピストが対等な立場で夢について話し合い、その多義的な意味・目的を考えることによって、クライアントの心の中で巻き起こっていることを治癒的に生かそうとする点にある。ユングはフロイトとの決別以後、しばらく方針を探しあぐねていたが、それでも治療を続け、徐々に、クライアントが無意識の流れに沿って語るに任せること自体が、治療的な意味をもつのだと見いだすに至った。また、彼が以前から抱いていた、古代への学問的好奇心に端を発した神学的な知識も、応用された。ただ、彼は人生の方向を決めるのは自分ではなく、クライアントであるとし、クライアントの無意識的諸力の創造性を信頼した。ユングは、東洋哲学からも影響を受けている。特に、任地の中国で東洋哲学の影響を受けたキリスト教宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムに出会い、その影響を深めた。 実際、ヴィルヘルムとの共著には、中国仏教に関して次のような記述もみられる。「私の患者には、一人の中国人もいなかったのですが、彼らの心的発展を研究して得たものは、何千年来東洋の最もすぐれた精神の持ち主たちが苦労して切り開いた教えと実によく対応していました。」また、日本のユング心理学はその心理臨床において箱庭療法を積極的に取り入れたことでも知られている。ユング心理学は芸術的・宗教的色彩の濃い題材に切り込んでいったため、分析的・科学的でないと評価される事も多いニューエイジ運動に影響を与えたが、これらの運動のなかには、ユングの考案した概念や用語を流用しているものの、ユングの理論とは異なる自己解釈を展開している事例もよく見られる。ユングは宗教に心理学的な考察を加えたが、あくまで個人の内的な経験という側面における価値を認めるというものだった。彼は宗教組織のドグマや集団化には強い懸念を表明している。ドグマは個人の内的体験から注意を背けてしまうきらいがあり、また集団化はル・ボンの群衆心理に照らし合わせてみても、むしろ個々の道徳的水準を低下させるものだとした。一方で彼は宗教を考察の対象から外すことにも疑問を呈した。彼は諸々の宗教の中に、無意識の象徴的表現をしばしば見いだした。ナチズムや反ユダヤ主義の勃興に対する姿勢ナチスが政権を取った1933年、ドイツ精神療法学会が改編されることになりヒトラーに反対したユダヤ人のエルンスト・クレッチマーがその会長を辞任。新たに設立された国際精神療法学会の会長にユングが就任した[3]これをもって、ユングはナチスに加担してクレッチマーを追い落としたと一部に言われた。 後にユングは精神療法という学問分野を守りたかったので非ユダヤ人である自分が会長職を引き受けたと述べている。 彼は実際、ナチスからの影響を逃れるために国際精神療法学会の本部をスイスのチューリッヒに移し、ドイツ国内で身分を剥奪されたユダヤ人医師を国際学会で受け入れ、学会誌にユダヤ人学者の論文が掲載されるように図ってもいる。けれども、ナチスが国際精神療法学会に干渉してナチスへの忠誠を誓うマニフェストが学会誌に掲載されたために会長のユングは激しく非難された。ユングはこの非難に対しては即座に反論したものの、今日に至るまでユングとナチズムとを関係づけ、非難する意見は存在する。しかし、ユングはユダヤ系の師フロイトにも支援の意図について打診[4]しており、長年にわたってユングの秘書を務めたユダヤ人アニエラ・ヤッフェによれば、「ナチスへの対応には甘いところがあった」が、ユングはナチスの反ユダヤ人政策には明確に反対しており、ユダヤ人のドイツ脱出支援活動にも関与していたようである。[5]また、ユングが戦前において、人々の群衆心理への傾倒、及びそれに伴う暴力性の発現に対して警鐘を鳴らしていた記録[6]や、ヒトラーに関連した事象がもたらす危険性について警告していた記録[7]も残っている。ユングと超心理学ユングはその学位論文『いわゆるオカルト的現象の心理と病理』において、従妹ヘレーネ・プライスヴェルクを「霊媒」として開かれた「交霊会」を扱ったこと(ただしこの論文では神秘的要因ではなく精神の病理的状態に帰されている)、また錬金術や占星術、中国の易などに深くコミットしたことにより、オカルト主義的な傾向を見て取られ、また新異教主義的な人々からその預言者とみなされる傾向がある。これにはおそらく母方のプライスヴェルク家が霊能者の家系として著名だった出自も影響していると思われる。また「集合的無意識」や「元型」などの一般の生物学の知見とは相容れない概念を提起することによって、20世紀の科学から離脱して19世紀の自然哲学に逆戻りしてしまったという批判がある。[8]。またフロイトもユングとまだ訣別する前に、「オカルティズム」を拒絶するよう強く求めた[9]。一方で、ユング自身は、夢に見られる元型に関して、遺伝に関連づけて言及していたくだりがある(『分析心理学』)。無意識に蓄えられている遺伝情報は莫大であり、人の心性がそれを基礎にしているからには、その生み出すものも、その起源をはるか過去に遡ることができるとする解釈も可能であり、遺伝情報内の大量の経験データの中には、人に平均して訪れる体験の体系も含まれていると考えた場合、元型の普遍性も説明できるであろう。また、そうした無意識内容を生み出す傾向、というユングの説明の付与は、人間が普遍的な基盤に立脚しながらも、決して固定された構造ではなく(これが生物学的な本能にしばられた動物と違う点である)、変化の可能性を秘めていることを示唆している。無意識と意識の調停作業はユングの言う「個体化」に結実する。ただし19世紀末から20世紀初頭の状況は、一方では精神医学を極めて機能主義的に捉えることのみが科学的であり「心の治癒」といったものを語ることは出来ないという流れがあった一方で、アカデミズム以外でオカルティズムの大流行があったのみならず、ウィリアム・ジェームズのような学者も心霊主義の実験に乗り出すなど、心の問題に関するアプローチは現在以上に定まらないところもあった[10]。こうした問題に関してユングに批判的であったフロイトも、そもそも性理論を打ち立てるのはオカルトの「黒い奔流」に対する「堅固な城塞」を築かねばならないからだという動機を口にしており[11]、こうした問題に必ずしも安定した姿勢で臨んだばかりいたわけではなかった。またユング自身はきわめて厳格に学問的な方法論を意識して研究を進めていたという主張もあり[12]、こうした点について決定的な評価を下すことはまだ難しいといえる。著作ユングの著作は、『ユング全集』にほぼ全ての重要な論文(単行本を含む)が網羅されている。全二十巻の構成となっている。ドイツにおいて、『 Gesammelte Werke von C. G. Jung 』 (Walter Verlag) として出版されている(「GW」 と略する)。英語版は、ユングの監修の元に翻訳が行われている(『 The Collected Works of C. G. Jung 』)。代表的な著作としては、以下のものがある。『転換のシンボル』 Symbole der Wandlung, 1912, +1950, GW Bd.5.『心理学的類型』 Psychologische Typen, 1921/1950, GW Bd.6.『心理学と宗教』 Psychologie und Religion, 1940/1962 (GW Bd.11).『アイオーン』 Aion, 1950, GW Bd.5-2.『心理学と錬金術』 Psychologie und Alchemie, 1944/1952, GW Bd.12.『ヨブへの答え』 Antworf auf Hiob, 1952/1967 (GW Bd.11).『結合の神秘』 Mysterium Coniunctionis, 1955/1956 GW Bd.14.脚注^ 後の心理学者としての著作に、ゲーテの「ファウスト」やニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」への言及も多くみられる。^ ユング著「リビドーの変容と象徴」(1912)にフロイトは難色を示したが、ユングは学問的な視野の拡大化をはかる意味合いを著書に持たせていた。^ エレンベルガー、1980年、下、308頁。^ ただし、これに関してはフロイトに「敵の援助を受けることは出来ない」と拒まれている。^ 以上の記述は、河合隼雄『ユングの生涯』第三文明社レグルス文庫100、1978年、pp.52-56に基づく。ヤッフェの評論については平田武靖「ユンク心理学の系譜 -ユンク・ナチス・ユダヤ人-」、『is No.1』ポーラ文化研究所、1978年で紹介されている。^ C.Gユング『自我と無意識の関係』、人文書院、p.51,52以下。原文は1928年発表された。^ C.G.ユング『ヴォータン』、1936。 ヒトラーに関して、扇動される群衆および扇動者自身の熱狂を指摘し、事態の危険性をユングは警告している。^ リチャード・ノル 1998:201-2,382-3,415-7頁^ 『ユング自伝』1、みすず書房、1972年、p.127。^ 上山1989:483,488-491頁。^ 『ユング自伝』。^ 林道義『ユング思想の真髄』朝日新聞社、1998年。参考文献C.G.Jung , R.F.C.Hull(trans.),'Symbols of Transformation',Princeton/Bollingen PaperbacksISBN 0-691-01815-4C.Gユング『自我と無意識の関係』野田  あきら訳、人文書院、1982年。ISBN 4-409-33010-1C.Gユング『現在と未来』松代洋一編訳、平凡社、1996年。ISBN 4-582-76171-2上山安敏『フロイトとユング - 精神分析運動とヨーロッパ知識社会』岩波書店、1989年。アンリ・フレデリック・エレンベルガー、『無意識の発見: 力動精神医学発達史』木村敏・中井久夫訳、弘文堂、1980年。小俣和一郎 『精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー』講談社/講談社現代新書,1997年,ISBN 4061493639リチャード・ノル『ユング・カルト』月森左知・高田有現訳、新評論、1998年。リチャード・ノル『ユングという名の<神>』老松克博訳、新曜社、1999年関連項目ウィキメディア・コモンズには、カール・グスタフ・ユングに関連するマルチメディアがあります。分析心理学集合的無意識元型-アニマコンプレックスシンクロニシティ精神分析-ジークムント・フロイトヘルマン・ヘッセ河合隼雄林道義秋山さと子湯浅泰雄ローレンス・ヴァン・デル・ポスト 「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0」より作成カテゴリ: 分析心理学 | スイスの医学者 | スイスの心理学者 | 精神科医 | 心理学者 | 1875年生 | 1961年没

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